20220224思考の整理 視座は高く遠くを見つめる
【今日の目標】
・視座は高く遠くを見つめる
そして高く遠く見つめながら、足元の小石に躓く。
その場合の小石とはなんであろうかね?
本を読むと視座が上がるらしいので本を読み始めたのか、本が好きで読み始めて気がついたら視座が上がっていたのか。鶏と卵戦争。
獲得したいから読み始めることの方が、経験則だけど多い。止むに止まれぬ理由など自分の外からの要因に引きづられて始まっていく、自分の中から湧き出でた要因で始まるものなんて、そんなに多くない。
どちら尊いというものでもない。
足元に注意しながら、遠くを見つめ、歩く。
人の賢さは視座の上下移動と、抽象度の奥行き移動が自由である気がする。であるならば、視座は高く遠く、そして低く近く自由に行き来させるのほうが、自分的にはスッキリするのかもしれない。
【今日の予定 β版】
・6:30 日誌
・7:00 家事
・8:30 出勤
・10:00 仕事
・15:00 帰宅〜仕事
・18:30 夕飯+お風呂
・19:30 学習
・23:00 おやすみなさい(予定)
【感想】
仕事しながら学習ペースを増やすことは難しいが、効率的にすることは出来る。はず。
20220223思考の整理 興味を増やす。智は血となり肉となる
【今日の目標】
・興味を増やす。智は血となり肉となる
まだ引っ越しの余韻が冷めやらない感じがしています。そうです継続しない理由を余韻云々でどうにかしようとしている魂胆をもっている、2月23日の私です。
続かない理由を探し続け時間をとってしまい、気がついたら何もしていないという状態。ここに書かずとも1日2〜3.5時間程度の学習時間は確保しています、、、が、が、しかし。
そのような状態って、ゴールを決めていないでスタートしているだけの状態に近い感じがするんですよね。毎回同じようなことは書いていますが、ゴールを決めるからこそレースとしての形式が整う(ルールが存在する)ものかと思っている派の自分からしたら、気持ちが落ち着かない感じです。
言わば、今は唯走っているから楽しい状態に近しい感じがしています。
『いやいや楽しいのって無敵じゃん』とも言われそうですが。だいたい楽しい時間は終わります、一定の時間を積んだ先にあるのは苦しいであって、それを乗り越えた先に云々。
『じゃあ苦しかったら辞めるんじゃないの?』
だからこそ方法を決めて、時間を区切ったり成果で確認をしたりして、ゴール(とりあえずの結果)と比較して、次の方向性を決めていって、、、。
途端どっちつかずな答えになったけど、なんでもいいので時間をもってゴールを決めた学習をしよう。
目的は忘れたくないけど忘れてもいいように方法があり、しかし時間と共に方法は形骸化していくので、そうならんように方法は変えていかなければならない。
【今日の予定 β版】
・6:30 日誌
・7:30 家事
・8:30 学習
・13:00 お出かけ
・17:00 学習
・18:30 夕飯+お風呂
・19:30 学習
・23:00 おやすみなさい(予定)
【感想】
もう引越しから1ヶ月も経つのに、意外と普段の状態に戻らない。
20220214思考の整理 物事が終わる時に、その意味が付帯する
【今日の目標】
・物事が終わる時に、その意味が付帯する
では、その意味を与える人は誰なのだろうか?
だいたい意味を付与するには始めた人という場合が多いかなと思っているのだけど、結果・費用・期間が長くなるほどに、始めた人は個人ではなく法人或いは国などになってくる傾向もある。
今回の場合は、そんな大きなことは如何でも良い。
自分が立てた目標の結果は自分で判断をしたいという、ただそれだけ。
だからこそ目標も自分で立てたいし、行き着くまでの計画も自分のもので、手に入れたものに価値があるかどうかも自分で判断をしていたい。
【今日の予定 β版】
・7:00 家事
・8:30 日誌
・9:00 仕事
・18:00 夕食+風呂
・19:30 学習
・23:00 おやすみなさい(予定)
【感想】
今日も学び、そして今日を終える
20220212思考の整理 突然でもやってみる
【今日の目標】
・突然でもやってみる
計画を持って事には臨まなければいけない。先に目標等のロードマップを作成し逆算的に為すべきことを浮かび上がらせていくフェイズ、そして上記の計画を実行するフェイズ、最後に実行後の反省・及第点・課題のフェイズ。
上記3点を執り行う事で、仮想的に(そして個人的に)1度の行動に3回の意味を付与することが出来るものだと考えている。
それを為さずして『突然でもやってみる』だなんて。そうやって挑戦は過ぎ去っていくのかもしれない。
では自分の立てている計画は何に値するのだろうか?時には想定外も計画に入れ込むだなんて、想定できないを想像する。空白を取り入れていく。必要そうに思えるけど、一体なんだそれは。
【今日の予定 β版】
・6:00 日誌
・7:00 家事
・8:00 学習
・18:00 夕食+風呂
・19:30 学習
・23:00 おやすみなさい(予定)
【感想】
今日こそは絶対に勉強する
20220211思考の整理 思い切った挑戦しか存在せず、中途半端では跳べない
【今日の目標】
・思い切った挑戦しか存在せず、中途半端では跳べない
今日自分が挑戦することはなんであろうか?日誌には『やりたい』ことが溢れていて、それらを少しずつ終わらしていく。大半は学習のことですが、これらは始末が悪いことに1つ解決すると2〜3個の問題を残していきます。
解決を試みると再び分裂していき、さて一体最初のスタートはどこだったのかと思わざるをえないこともちらほら。
この無限ループを恐れてやらないを選ぶことも出来るのですが、もっと始末が悪いことに『自分はこの無限ループでお金を稼いでいくんだ』と思い込んでいる自分もいます。
この世の中絶対なんてないのに絶対を求める傾向に自分があり、いまのところその欲求を満たし渇望させる技術というものに魅せられて遊んでいます。
『やりたい』が分からなかったあの日よりも、十全に満たされていると信じ、『やれない』ことに苦しみながら、覚悟を決めるだなんて大袈裟にもならずに遊んでいこうと、雪の降らなかった庭を見つめながら思うのでした。
【今日の予定 β版】
・6:00 日誌
・7:00 家事
・8:00 学習
・18:00 夕食+風呂
・19:30 学習
・23:00 おやすみなさい(予定)
【感想】
せっかく屋上の庭で雪だるま作ろうとしてたのに!
20220210思考の整理 過ぎ去ったものは既に終わっている
【今日の目標】
・過ぎ去ったものは既に終わっている
過去を眺めることは時に楽しく感じられる。部屋の片隅にある埃を被った昔のアルバムをひらけば、当時の瑞々しさが蘇ってくるようである。
郷愁の思い、ノスタルジィ。
映画だってリメイクされた作品は、過去の作品をインスパイアしていなければ過去のファンも納得はしない。みんな『あの頃』の熱狂を望んでいる。
そういったところで、私の『あの頃』はいつになるか?
今回の引っ越しで、過去に頂いた5枚の色紙は発見したものの1枚1分ずつ振り返り再度棚の奥にしまう。今の時点でどれを見てもまだ『あの頃』に昇華されていないようだ。
もう終わっているのに、なぜ捨てないのかの答えもよく分かっていない。
【今日の予定 β版】
・6:00 日誌
・6:30 家事
・7:45 出社
・10:00 お仕事
・20:30 夕食+風呂
・21:30 AWS学習
・23:00 おやすみなさい(予定)
【感想】
雪!なので自宅待機して学習しています。
20220209思考の整理 失敗は誰でも恐れるものであって、再び挑戦出来るかどうかを問う
【今日の目標】
・失敗は誰でも恐れるものであって、再び挑戦出来るかどうかを問う
楽しければ継続は出来る。だから楽しくいこう。『うんうん悪くないだろう』だけでも、それが真であるならば苦しいことは継続できないだろうか。『うーむ、、、』
そうなると楽しい苦しいなんてものが継続の要因にはなっているが、根本的なものではないのかもしれない。そりゃそうか、自分が成りたいもののために毎日は費やされていくのであって、毎日は楽しくても苦しくてもやってくるもんだ。
楽しくて面白い、苦しくても面白い。
この面白さとはなんであるのか。辞書を引いたりすると『一風変わっていたり新鮮であったりして、興味をひかれるさま』なんて意味があることを知る。
毎日やってくる日常という一種普遍性を帯びたもの(『同じ毎日なんてない!』のは承知しているも、そんなに毎日感じないので、ここでは普遍性を帯びているとする)に対して、面白いと感じられることは、そんな日常に新鮮さを与えてくれるスパイスのようなものなのかもしれない。
そう言えば珈琲は苦いし、カレーは辛いし、アイスは甘い。なるほど。
継続云々の話はどこにいった?それはまた明日のスパイスにすればいいかと。
【今日の予定 β版】
・6:00 日誌
・6:30 家事
・7:45 出社
・10:00 お仕事
・20:30 夕食+風呂
・21:30 AWS学習
・23:00 おやすみなさい(予定)
【感想】
継続することが大事ではない。