210428アウトプット 想像力の欠如が、醜さを生む
【今日の振り返り】
【時間】私の行動の前に時間は平伏すが、結局時間でしか計測出来ない
・7h:睡眠
・1h:運動(縄跳び+1Kmジョギング+公園美化)
・1.5h:ブログ+思考日誌+Twitter+Facebook+0秒思考
・8.5h:仕事(AWS関係)
・4.5h:その他
【行動】今日はどんな遊びをしたのか?
朝に8/11から開始しているゴミ拾いをしていると、遠くからベンチに座っているご婦人より「いつも、ありがとうございます」と。心の中では「”いつも”ではないし、走っているついでにゴミがあって拾ってるだけなので、ありがたがられることなんか?」と思いつつも「そんなことないですよー」と。
天邪鬼なんだろうな。そんなご婦人から感謝の言葉をかけられたら、本来は嬉しいとか、社会に認められているとか思うのだろうかな。見ず知らずの、毎朝ゴミを拾っている物好きに声をかけるなんて、どうなんだろう?とか、ありがたいなんて言うなら、自分たちも拾って逆に『私たちはこんなにも拾っているのに、あなたはそれだけしか拾わないんですか?えっ信じられません』とかの逆マウント気味で無視してもらったほうが、世界は綺麗んじゃないかなとか。誰もがゴミを拾う世界なら、拾うことなんか当たり前で「ありがたい」なんて思わないんじゃないのかな。
と汚い心を抱きながら、『汚ったねぇな自分。』と呟く。
もしかしたらご婦人は腰を痛めていて、ゴミを拾えないとか、だから精一杯の声をかけるという方法で応援してくれてるんだとか思わないものかねぇ。想像力が欠如している。なんという醜さか。
こういったことを思ってしまう自分は嫌い。だから自分以外のものから綺麗にしようとしているのかもしれません。醜さから美しさを求めている。