211125アウトプット 透明な気持ちと驕った考え
【今日の振り返り】
【時間】私の行動の前に時間は平伏すが、結局時間でしか計測出来ない
・7h:睡眠
・1h:運動
・0.5h:家事(洗濯+食器洗)
・0.5h:ブログ+思考日誌+Twitter+Facebook
・8h:仕事
・4h:CCNA資格学習
【行動】今日はどんな遊びをしたのか?
自分が決めたことを履行していきたい。その結果、どのようなものになっても。
神社に行って手を合わせても願うこともなく、ただ手を合わせて無粋なことを思わず鏡面に写り込む自分を見つめるように、そこにいる真を視るような透明な気持ちで手を合わす。宗教みたくて怖い!でも拝んでる時点で宗教なので、よろしいかと。
そんなふうに、いつからか分からないけど『自分の人生で起きる全てのことは運命とか、神様とか全く関与しないで全部が全部自分のせいであって欲しい』と思いたい自分がいる。そうすれば誰かのせいなんてせずに全てが全て自分の因果で、どんなことでも納得出来ると信じていたい。
もちろん自然災害や人との巡り合わせがあり、全部自分の理性の元で人生をおくれるだなんて驕った考え(又は”頭がお花畑でファンシー”)であることも知っている、いや知っているというか、もはやそういうものだと思わざるをえないことばかりが人生では起きるし、起きている。
それでも全てとは言わないまでも、手を合わせた時に生じる一瞬の透明な気持ちをもって自分の行き先を自分で決める。